大河氏は私の羊飼い

このブログはフィクションであり、実在する大河氏とその周辺人物にはいっさい関係がない。

大河氏、夏休みの正攻法を考える。

 

 

大河氏は前期課程の全ての授業を終了し、事実上の夏期休暇に突入した。厳密に言えば補講と重たい課題が残っているので、まだまだ忙しい日々は続くだろう。そんなことを思って「やれやれ」と呟いたところ、向かい側に座る若者が驚いた様子でこちらを見つめている。大河氏がブログを執筆するのはいつも電車の中である。

 

とはいえ、待ちに待った長期休暇を楽しむ準備は万端である。

 

 

夏休みにしたいことは何かと聞かれても困る。

夏休みというものは、冷房の過剰に効いた自室でぶあつい布団にくるまりながら正午まで惰眠を貪り、腹を満たして布団に出戻り、窓から夕陽の射す頃までひたすら読書に耽る。読書に飽きたら庭に座り込んで弟の帰宅を出待ちし、帰宅した弟とじゃれあい、腹を満たして布団に帰る。このように布団を中心とした規則正しい生活を送ることが夏休みの基本である。

 

読者諸賢におかれては、こんなに生産性のないように見える生活をする者は両親に謝れよ、しかるのち死ねと思うかもしれない。しかし、このように布団の中に籠っていると、突然行動力がむくむくと湧いてくるのが人間である。そのタイミングを見極めることが重要なのだ。暇を持て余しすぎてどうにかなりそうになり詰めたその瞬間、人間の行動欲は最大値に達し、その行動を最も有意義に、そして最も楽しむ事が可能になるのである。何かをしたいという衝動の、有効活用の極地である。

 

布団にこもることの利点はそれだけではない。人生において、何もせずにただぽつねんとしている時というのは、人生の深みを形成する時間である。布団にこもる時間は、これまでに得た知識と知識を結びつけたり整理したりする時間である。だから、すぐれたアイデアはいつも布団から生まれる。知識が体系化されることで人生に味が出るのだ。

 

 

 

 

思うに、夏休みだからといって何かその爪痕を残そう、思い出になることをたくさんしようと躍起になることを潔しとしてはならない。時間があるときこそ、せわしない日常で蓄えたものを思う存分に整理し、またそのような面白くない作業をする中で自分が真にやりたいことを見つけ出し、満を辞してそれに取り組む。これこそが夏休みの美学で、最も有意義な時間の使い方である。

 

 

くれぐれも、「青春をしようぢゃないか!」などと浮かれて浅い思い出づくりに精を出すことのないように。青春をしようとしても青春は我々に歩み寄ってはくれない。青春をしようと画策すること自体が無意味である。青春とは、依存症の種のような病気と全く同じで、自分がそれと気づかないうちに青春という病を患い、それに気づいた時には不幸に陥る。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだかあまり満足のいくおもしろい文章を書くことができなかった。これも夏バテのせいであろう。

 

それでは、良い夏休みをお送りください。