大河氏は私の羊飼い

このブログはフィクションであり、実在する大河氏とその周辺人物にはいっさい関係がない。

黒髪の乙女氏、『大河氏、青春万歳論を批判する』を読む

 

 

 

最近、大河氏さんをよくお見かけします。大河氏さんは私の一つ年上で、学部の先輩に当たります。私は人を覚えるのがあまり得意ではありませんが、前期からいくつか大河氏さんと同じ授業を履修しているので、大河氏さんの顔と名前は一致しています。

授業中の大河氏さんは、毎回前の方の席で惰眠を貪るか、熱心に物書きをしています。先生の話を栄養に就寝し、十分な睡眠を活力にして物を書いているような方です。

私には授業を一緒に受ける友達がいないので、毎日1人で授業を受けるのですが、教室が混み合っているときには大河氏さんの隣の席を確保することがあります。大河氏さんの隣の席は何故かいつも空いています。不思議なことに誰も座ろうとはしないのです。

このような訳で私と大河氏さんは特別に深い仲ということもなく、かと言って大学でお見かけする99%と同じように、初対面の名前も知らない学生さんという訳でもありません。

それでは、なぜ私が大河氏さんのブログを拝見する運びになったのでしょうか。前述のような希薄な関係性であれば、わざわざ私が大河氏さんのブログを探し当てることも未来永劫ないでしょう。しかし、これは決して偶然ではなく、偶然によって生まれた必然とも言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、大河氏さんを偶然お見かけする機会が、特筆して多いことに気がついたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大河氏さんの最新のブログ記事『大河氏、青春万歳論を批判する』を拝読しました。私は、手放しに他人の論理に賛同もしくは否定せずに生きていくように、と兄に教わっているのですが、大河氏さんの言い分には納得できる部分も多くありました。

人間はいっときの感情に流されながら生きてはならないと思います。私は感情的になっている人を見かけると少しげんなりしてしまいます。温まった感情は、必ずや冷めていくものなのです。人は怒ると壁にパンチを喰らわせますが、のちに冷静になってその壁の穴を見返すと、なんとも恥ずかしく、悲しい気持ちになります。当然これは恋愛にも当てはまります。恋をすると、まるで永遠に相手を好む気持ちが続くかのように錯覚する人が多いのがなんとも嘆かわしい。デートをするたびに記念のツーショットを撮る呆れたカップルもいると聞きますが、別離した後にその写真を見たらどんな気持ちになるのでしょうか。大河氏さんの記事を読むに、大河氏さんは感情に流されずに生きるということをよくわきまえて生きているように思いました。大河氏さんは信頼できる人間です。

 

大河氏さんを学校や登下校時の電車あるいは駅で見かけるとき、大河氏さんは決まって1人で少々まごついています。大河氏さんは、授業で隣の席に座ったこともある私が月曜日と金曜日の登校時に同じ車両に乗っていることに気づかれているでしょうか。たまにチラリと視線を感じることもありますが、目を合わせてくださったことはありません。

私は校内でも大河氏さんを頻繁に見かけます。授業の間の休憩時間で教室移動をしていると、大河氏さんとよくすれ違います。授業の終わりには、教室を出るタイミングを大河氏さんと同じくすることも多いのです。先日は私が学食のカウンター席でカレーライスを頬張っていると、隣の席に大河氏さんがやってきましたが、やはり私に気づいていない様子でした。私は木曜日の授業が終わると、大学の最寄駅の中にある書店で本を眺めることにしているのですが、大河氏さんもよく同じ時間帯に小説を立ち読みしています。今日お手洗いから出て角を曲がって廊下に出ようとした際に、たまたま廊下を歩いてきた大河氏さんと危うくぶつかりそうになりました。

よく考えてみると、不思議なほどに大学生活において大河氏さんを偶然お見かけすることが本当に多いのです。大河氏さんとまだ一度も話したことがないという事実が大河氏さんの存在をより一層引き立たせてもいます。

だから、大河氏さんの生態を暴くために、苦手なSNSを使ってサーチしてみたところ、大河氏さんと思しき人が書いているブログ記事を発見しました。私は大河氏さんが意外にも人間味のある事柄を書かれていることに驚きました。

 

『大河氏、青春万歳論を批判する』の中で、ひとつだけ気になる点がありました。

大河氏さんは、「常に黒髪の乙女のことを思っている」と書いていました。感情無常論に従って、破廉恥な行動に出ない大河氏さんの我慢強さと愛すべき押しの弱さは称賛に値します。

では、その「黒髪の乙女」とはいったい誰のことなのでしょう。私は黒髪であるという点で大河氏さんのいう「黒髪の乙女」の条件に当てはまりますが、「黒髪の乙女」は黒髪であるという情報しかないので、それだけでは確信を持つことはできません。そもそも、きっと大河氏さんの想いびとは他の人のはずです。

 

大河氏さんの、劇団ひとり氏のようなつぶらな瞳にはどんな魅力的な黒髪の乙女が映されているのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

※大河氏の名誉のために付け加えておくが、当ブログの記事はフィクションであって実在する大河氏との関連はない。皆さんはくれぐれもストーカー被害にはお気をつけて。