大河氏は私の羊飼い

このブログはフィクションであり、実在する大河氏とその周辺人物にはいっさい関係がない。

大河氏、点字ブロックの神秘に迫る

皆さんの住む地域にも、きっと点字ブロックなるものが地面に埋め込まれているはずである。

そしてきっと、皆さんはその存在意義をご存知であるはずだ。点字ブロックの主たる設置目的は、視覚に障害のある方の安全な歩行の一助となることである。

 

そういった意味では、私は、現時点では近視ではあるものの、社会的屋外生活において必ずしも点字ブロックの恩恵を授かるべき人間であるとはいえない。

そうであるにもかかわらず、私は歩行中にあの基調である黄色と滑り止め粉によって煌めく点字ブロックを目にすると、その上を歩きたいという衝動をこらえられなくなるのである。いったいぜんたいどういう訳であろうか。

 

 

 

本来であれば、視覚障害のある方の妨げになることを防ぐため、点字ブロックの上を私のような幸運にも視覚に不自由のない身が歩くことはあまり好ましくないと私は考える。そんな持論とは裏腹に、ひとたび点字ブロックを視界にとらえたが刹那、我が動物的本能はその点字ブロックに向かって足にして向かわしむことをはばからないのだ。私はこの持論と動物的本能との乖離に猛烈な心理的ストレスを感じずにはいられない。

 

 

 

 

 

私は、この動物的本能を呼び起こす点字ブロックの魅力を明らかにし、真っ向から対峙したい。願わくば、この対峙を克服し、社会的屋外生活においてストレス-フリーに生きていかんことを。

 

 

 

 

 

まず私は点字ブロックの形状に着目した。点字ブロックの形状には、大きく分けて2種類あることは言うまでもない。一つは文字通り半径2センチほどの「点」で埋め尽くされたもの、もう一つは4本の直線によって埋め尽くされたものである。

注目すべきはこの「点」や「直線」が、地上方面へやや浮き上がっていることであり、同時にそのふみ心地がいかがであるかということである。

 

蓋し社会的屋外生活とは、足裏への刺激に満ち足りないものである。したがって点字ブロックは、ただでさえ刺激のない生活に疲弊している現代人の、足裏的欲求を満たす機能を果たしているのではないだろうか。

 

 

この仮説の信ぴょう性を裏付ける事実が一つある。鋭い読者は「点字ブロックごときで足裏に刺激が与えられる筈がない」と思われるかもしれない。私はこの意見には7割がた賛成したい。残りの3割は、足裏が人並み以上にむくんでいる人の場合である。足裏のむくみに悩まされている人というのは、どんなに些細な突起物にも足裏を当てたくなるものなのだ。これは仏像が盛んにつくられるようになった時代からの普遍の真理である。仏身はみな扁平な足裏をもっているが、これを目にすると必ずこの足裏を慈悲深くも揉んで差し上げたい!と本能的に思うことであるだろう。それと同じように、足裏のむくみに悩まされる者は、どんなに小さく見える突起を目にしても「我が足裏に刺激を与えたまえ」と本能的に思うのである。

 

そして、私は現に足裏のむくみになやまされているのだ。点字ブロックの上を歩くことをやめられない私が、だ。

 

 

 

 

 

私はこの結論にたどり着いたとき、脚のマッサージをより入念にすることを心に誓った。点字ブロックの上を歩いていたが故の不慮の事故の可能性を、能う限り減らすためである。

足裏のコンディションを鑑みて、どうしても点字ブロック上を歩かざるをえない場合には、くれぐれも周囲に十分注意して歩行することとしようと思う。

 

 

 

 

 

 

皆さんの中に私と同じストレスに悩む者がいるならば、上記の忠告を肝に銘じていただきたい。それでも安全であると判断できる場合のみ、点字ブロック上の控えめな幸せを、存分に享受しようではないか!