大河氏は私の羊飼い

このブログはフィクションであり、実在する大河氏とその周辺人物にはいっさい関係がない。

大河氏、眼鏡をかける

 

 

こんにちは。

 

今日は久しぶりに眼鏡をかけて登校した。小学校3年生の頃から高校3年生の6月ごろまでは毎日眼鏡をかけて通学していたが、大学入学後に眼鏡をかけて登校したのは余が記憶している限りでは2度目である。

 

なぜ今日は眼鏡をかけたのかと聞かれても、眼鏡をかけたい気分だったからだとしか言いようがない。余は紳士であるから、気分に逆らうことを潔しとしない。

尊ぶべきは気分である。

 

 

 

 

 

教室に入ると、級友O氏が怪訝そうな顔でこちらを見つめる。

 

余は意地悪な紳士であるから、

「余の呆れるほど美しいお顔に見とれる暇があるならば、来るべき試験に向けて本質的には無意味な暗記に精を出すべきだ」と忠告したところ、「その通りであるが、お前はなぜ眼鏡をかけているのか」と聞いてきた。余は意地悪な紳士であるから、「目が悪いからだ」と返すと、彼は「そんなことは知っている!」と言ったきり、余に口を利かなくなった。

 

 

 

 

眼鏡を着用することにより、余に好意を持つ異性が増えてしまうことを恐れなければならない。

ある女生徒S氏からは、「眼鏡をかけると気色悪さに磨きがかかるわね」との言葉を賜ったので「Merci beaucoup!」と返した。彼女は微笑み、2度と口を利いてはくれなかった。

 

 

 

 

 

眼鏡は偉大である。今日だけで2人の友達を余をして失わさせた。ただ、余が普段着用しているコンタクトレンズが1日当たり200円ほどであるから、友を失ったのと引き換えに200円の節約を達成したと考えれば気分が良い。

いずれにせよ、明日はコンタクトレンズを着用するだろうから、彼らとも仲直りできるだろう。

 

 

 

久しぶりに眼鏡をかけて外出したからか、瞼が普段より重く感じる。今日は早めに寝るとしようか。身体的疲労を感じる場合、就寝時間の決定には翌日の試験を考慮しないことにしている。

 

 

 

 

 

 

 

昨日の拙ブログには、ブログなぞもう2度と書かないかもしれないと記した。その言葉に嘘はない。なんでも人間は始めたばかりのものには心と時間を奪われるものだ。祇園精舎の鐘の音はすなわち諸行無常の響きであり、沙羅双樹の花の色は盛者必衰の理をあらわす。やがて更新を怠る時が来るだろうが、くれぐれもあまり悲しまれないように。

 

 

 

 

 

大河法師