大河氏は私の羊飼い

このブログはフィクションであり、実在する大河氏とその周辺人物にはいっさい関係がない。

大河氏、勇気を出す

 

 

 

今日の大河氏はぜっぷダイバーシティ東京という仰々しい名前の施設に行った。推しのイベントが目当てである。

 

大河氏は、推しがやがて日本アイドル界のトップに君臨することを信じて疑わない。

その過程を支えることが、自分に与えられた使命であると考える。

 

 

大河氏の推しは、心を奪われるのも納得の、絶世の美女である。その存在については追って紹介するとしよう。

人生においていちばん大切であると思うことについては、軽々しい気持ちでブログに書いてはならない

 

 

 

 

今日の現場は普段以上に盛り上がり、大河氏も喉を枯らしたわけだが、そんな現場に向かう電車内で、ちょっとした''事件''が発生した。

 

 

 

大河氏は新宿駅から埼京線に乗り込んだ。埼京線車内は幸い空いており、大河氏も自身が座る座席を確保すると、後から隣の席に若くて知的な男性が座って来た。大河氏は電車内で座席を確保すると高確率で読書をたしなむ。読書というと聞こえが良いが、読むのはほとんどの場合小説であるからあまり修学の助けにはならない。ちなみに今日読んでいたのは瀬尾まいこ氏の『そして、バトンは渡された』という複雑な家庭に強く生きる者を描いた作品である。今年の本屋大賞にもノミネートされている良作であるから読者諸賢にもぜひ一度は手にとっていただきたいものだ。

 

 

 

 

話を引き戻すが、大河氏は電車内で無事に席を確保し、読書をしていた。乗車してから20分ほど経った頃だろうか、その''事件''は発生した。

電車がある駅に着くと、隣に座っていた知的な男性が立ち上がり、ドアに向かって歩き始めた。大河氏は読書に集中していたが、数秒前まで知的な男性が座っていた座席の上で、銀色がきらめくのがふと目に入った。

 

それは明らかに自転車の鍵である。

 

知的な男性は既にこちらに背中を向けているから、この鍵を忘れたことに気づかずに降車するだろう。ここで行動すると、乗客の注目を浴び、恥ずかしい思いをするだろう。一方で、知的な男性の予想されある今後の不便は、大河氏の恥とは比べることはできないほど計り知れないものなのではないか。視界はスローモーションのようにゆっくりと動いていたが、気づくと大河氏は知的な男性を呼び止め、例の鍵をその手に渡していた。男性が降車し、アナウンスに次いでドアが閉まると、我に帰った大河氏は再び読書にとりかかったが、なんだか急に耳が熱くなった気がした。恥ずかしかった。

 

 

 

 

大河氏が日常的に答えを探している問いがある。本当の「優しさ」とはどのようなものだろうか、ということである。人々は頻繁に、自分の友人や恋人の「優しさ」を評価したりする。本人たちは「優しさ」とは何かという問いに対する答えを確立しているのだろうか。抽象的であり、あまりに無責任ではないか。

 

 

 

 

大河氏は、「優しさ」とは本質的に何であるかと問われたら、それは「勇気」であると答えるようにしている。ただし問われた経験はない。

 

 

ある人は、試験を前に、自身が自主休講を重ねた科目のノートを見せてくれた友人に対して「優しいのだな」と言った。

 

大河氏はこのやり取りに違和感を覚えてしまう。

彼に対して「優しさと妥協を履き違えてはならない。」と伝えたい。

 

捻くれているだろうか。

 

 

 

 

 

 

あなたは、電車やバスの車内で高齢者に座席を譲ることができるか。友人の目元にヤニが付着していたら指摘することができるか。大学構内を歩いている赤の他人のリュックのファスナーが開いていたら、それを指摘することはできるか。

 

優しさの裏側には、恥が存在する。

 

 

 

 

むろん、優しさの定義は人それぞれであり、自分の価値観を他人に押し付けることはできない。そもそも定義などできないし、状況にもよるだろうという批判も大いに結構である。大河氏かて、友人にノートを見せてもらうこともある。人格者というわけでもなく、優しさについて研究を重ねたわけでもない者の戯言であるから、どうか読者諸賢には内容を客観的に考察されることを要請したい。そしてより優れた意見を持つ者はそれを教えてください。

 

 

 

 

 

 

書きたかったことは、大河氏は本当に困っている人(雑な表現で申し訳ない)に対して、自分の手助けが必要かどうかを判断したのちに、勇気を出して手助けを実行できる人になりたいと常々願っている、ということである。

その観点から見れば、今日の大河氏の行動は賞賛に値するだろうが、賞賛を求めてする行為は「優しさ」ではなく「偽善」であることを肝に銘じなければならない。

 

 

 

 

優しさとは勇気であり、勇気とは優しさである。

 

 

 

 

 

 

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