大河氏は私の羊飼い

このブログはフィクションであり、実在する大河氏とその周辺人物にはいっさい関係がない。

大河氏、もがく

 

 

どうもこんにちは。久方ぶりですな。

 

 

 

ブログの更新が滞ってしまって申し訳ない。当方の持病が再発してしまった。

 

 

大河氏の交感神経氏と副交感神経氏が喧嘩をしてしまっているようだ。この不仲は大河氏に舌咽神経由来の吐き気や異常な眠気、聴力の低下などをもたらす。

これらを我慢するためには、歯ぎしりを怠ってはならないのだが、歯ぎしりをしすぎるとこめかみが痛む。気がつくと、歯ぎしりを自分の意思で抑制することができなくなる。こんな症状である。

 

 

投薬をするから、両神経氏にはぜひとも反省していただきたいと切に願う。

 

 

 

 

 

さて、大河氏はこのような症状に悩まされていたのでブログの執筆を10日程度自粛していたのである。

 

大河氏のブログの更新を毎日楽しみにしている読者諸賢には、本日大河氏がブログを更新したことに関しては慶賀にたえない。

 

一方で勘の鋭い諸兄姉の中には、大河氏はブログの執筆に飽きたことを悟られないように嘘をついているのではないかとか、その程度の症状ならブログの執筆はできるはずだから言い訳になっていない、と意見する者があるだろう。

 

 

 

 

ここで、大河氏が最も正しいと思う某氏の意見を紹介しよう。

 

 

 

このブログでいちばん間違っているのは紛れもなく大河氏である。大河氏はここ数日ブログの執筆をやめていた。事実としてはそれだけのことである。冒頭にあった大河氏が患っている病などの事情は読者にとって全く知ったことではない。読者が見える事実は大河氏がブログを書いているか書いていないか、それだけである。すなわち、読者が望むものも大河氏がブログを書くこともしくは書かないこと、その事実だけなのである。事実はよく見えるものであるのに、なぜこんなに簡単なことを理解することに苦労するのだろうか。

 

 

 

 

大河氏はいつも、人に嫌われたり、人格を否定されてしまうことを心配している。ブログについて批判されることももちろんそうである。

 

そのため、大河氏は主観をもって自己評価を決めてしまいがちである。大河氏は自分が失策を犯した時には言い訳をすることがある。そうすれば、相手は自分を許してくれると思うからである。

 

だが、実際はそこにあるのは「大河氏が失策を犯した」という事実だけである。その事実は、他人の心をどう操作しても覆ることはない。

 

 

 

場合によっては理由を伝えることが今後の改善につながったり、相手を安心させたりすることがあるという意見は尤もである。

 

 

 

 

 

 

大河氏は、最初はそこには事実だけが存在し、それ以外のあらゆるものはそれに付随すると考える。

 

 

 

 

どんな理由があろうとも、ここで読者諸賢と大河氏が共有できるのは「大河氏がブログを数日間書かなかった」という事実だけである。「大河氏は療養のためブログの執筆を控えていた」というのは単なる主張であり、読者諸賢にとっての事実であると断言できるものはいない。

 

事実と主観は別のものである。事実以外のことは各々の憶測の中で留めることしか出来ない。

 

これはたいへんもどかしい作業であるが、このもどかしさを乗り越えて、我々はまた物事を見つめなければならないと思う。事実と主観を一度切り離して考察する必要があるということだ。

 

 

 

大河氏は主観が存在してはならないものだと考えているわけではない。ブログを書かなかったことをここに詫びたい。詫びたいのは諸賢がブログの更新されるのを待っていると大河氏が「推測する」からである。申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唯物論症患者